どうぶつの森 ポケットキャンプにすぐ飽きたので色々考えてみた

どうぶつの森 ポケットキャンプ配信されましたね。

DSからのデビュー組の僕ももちろん初日にDLして遊びました。

とたけけさんとしずえに久しぶりに会ったときは、それはそれは心躍りました。

 

 

 

ソッコーで飽きる

最初は心躍らせて、やれ釣りだ、やれ昆虫採集だ、やれ収穫だと遊んでは動物たちに献上してたんですけどすぐに違和感を感じて遊ばなくなりました。

 

どうぶつ達のご機嫌とりをしている!そしてもはやタスクになっている!

 

今回、明らかに以前までのシリーズ作品と違うんですよね。

プレイヤーの自由に暮らせるのが魅力だったはずなのに、どうぶつ達の為にあっちへこっちへ走り回るキャンプ場の管理人。

どうぶつを呼ぶためだけに大して欲しくない家具を(金と材料と引き換えに)作る。

なんか違うーー!!!

お金を溜めて欲しいアイテムが店に並ぶその時を待つ、あのドキドキはどこ行った?

気まぐれに表れるどうぶつ達との交流は?仲良くしてたのに突然引っ越してしまった時のあの悲しみは?

どこに行った?

 

異変はその前から始まってた

個人的には前作(3DS版)からなんかおかしいなあって思ってた。

3DS版はプレイヤーが村長になって村づくりをできるのが目玉でした。

船に乗って遠くの島へ行って魚や虫やフルーツを採って村を豊かにしていく。

DS版と比べて村自体をカスタマイズできるのがウリだったけどこれも途中で唐突に気づきました。

 

俺(村長)が出稼ぎに行かされている!?

 

これに気づいた途端に楽しいスローライフが労働に感じてしまいました。働け村人。

 

スローライフおもてなし労働になってしまった

そんなタイミングでこの記事読んでめちゃくちゃ共感してしまいました。

わかりすぎる……

jp.ign.com

特にこの部分ですね。

 そもそも「どうぶつの森」シリーズはランダムに支配されている世界である。引っ越してくるどうぶつたち、村を去ってしまうどうぶつたち、村に作りたい公共事業、はたまた村の形まで(ある程度のパターンがあるとはいえ)ランダムだ。なぜそうなっているのかといえば、自分の力ではどうもならない移り変わりを楽しむという作りだからである。「ゲームだがすべてを自分の思い通りにするのではなく、そこに既にあるものを楽しむ」という思想としては古典的だがゲームにおいて斬新なアイデアは、「どうぶつの森」シリーズが提示した物事の楽しみ方なのだ。

 時間帯や天候、季節によって様々に変わる村の様子を眺めるだけでも十分に楽しかった。

時が立てばその分ちょっと違う村の風景を楽しめるのが醍醐味だった。

今回違うのがおもてなしという名の労働だったから。

遊んでるようで働いてるようじゃ消耗するだけだと感じたので僕のポケ森ライフは早々に幕を閉じました。

ファミコンやりたい。

 

 ゲームについてはこちらの記事も

on-the-brook.hatenablog.com